2017年10月10日掲載

「特別ではない特別支援教育」のなかに、多様化する大学生に対応する学生支援のヒントがある

教育学部教育福祉学科

教授 中尾 繁樹

中尾 繁樹 教授

本学教育学部教育福祉学科の中尾繁樹教授。豊富な現場経験を活かした講義で学生を導き、特別支援教育の専門家として全国の小・中・高等学校を飛び回る。各地で行われる講演会には、定員を上回る参加者が集まりときに、世界で活躍するアスリートの指導も行い、さまざまな相談にものる。「その辺のアイドル以上の過密スケジュールをこなしているんですよ」と笑いながら、予定がびっしりと書き込まれた手帳を開く。丸一日の休みは来年の 6 月までないらしい。中尾教授が提唱する「特別ではない特別支援教育」の考え方のなかに、多様化する学生にいかに対応するべきかのヒントがあるのではないか。それをを探るべく、話をうかがった。

中尾 繁樹 教授
何ができて何に困っているのかという背景の部分を見きわめること。
それができれば支援する手立てはいくらでもあります

私が専門としている特別支援教育と、従来の障害児教育はけっしてイコールではありません。障害児教育は障害がある子たちへの教育です。これに対し、特別支援教育の本質は、小・中学校の通常の学級に在籍する発達障害の子に限らず、すべての子どもできます未然に防ぐことが学級崩壊も、いじめも、 不登校も、 たちの指導に活かせる教育です。 最近、「配慮が必要な子、気になる子が増えている」ということをよく耳にしますが、では逆に、配慮がいらない子はどんな子なのかと考えてみてください。そんな子はいませんよね。私が強調している「特別ではない特別支援教育」の基本は、教室の中をうろうろ歩き回る子、突然教室を飛び出す子に対してどう指導するかではなく、クラスのすべての子どもの実態を理解することです。

中尾 繁樹 教授

子どもの実態がわかれば、そのような問題はなくなっていきます。障害の有無にかかわらず、すべての子どもたちのためにすべての教員が考えましょうという意味で、最近私は「みんなの特別支援教育」というふうにも表現しています。大切なのは、障害があるかないかという視点で子どもを見るのではなく、その子自身が、どう見えているのか、どう聞こえてい るのか、なぜ喋れないのか、何ができて何に困っているのかという背景の部分を見きわめることです。それができれば支援する手 立てはいくらでもあります。 残念ながら、今の世の中、いじめも不登校も増える一方です。なぜかというと、特別支援教育の理念や基本的な考え方が現場できちんと共有されておらず、依然として障害児教育のままだからです。 特別支援教育が普及・定着することは、子どもたちの学力向上や豊かな心の育成にもつながります。同じ学年のひとつのクラスの中でも、学力レベルの幅というものは広 い。特別支援教育の観点で、一人ひとりの教育的ニーズを把握し、それに対応した指導を行うことができれば、学力が低い子を 引き上げることはもちろん、上の子はさらに上へと、クラス全体の学力を向上させることができます。 つまり、特別支援教育は、予防の教育であり、先生方を育てる教育でもあるわけです。 


いじめも、 不登校も、学級崩壊も、未然に防ぐことができます

私はこれまで約4000の小学校、中学校、高等学校からの依頼を受けて、データに残っているだけで約35万人の子どもたちを見てきました。 具体的な指導方策を立てるためには、目の前にいる子どもが「なぜそのような行動を するのか」の背景を知り、それを踏まえた上での実践が必要になります。たとえば鉛筆がうまく持てない子に、持ち方だけを教えても改善はしません。なぜ鉛筆をうまく持てないのかという広い視点が必要で、そこには体のどの部分の発達が関係しているのかといったことへの理解も必要になってきます。 私に10分時間をもらえれば、クラス全員の子を観察して、「この子はこういうところが苦手だ」「この子が座っていられないのはこれが原因だ」と、一人ひとりがどんな発達の課題を抱えているかを見きわめることができます。姿勢、歩き方、目の動き、子どもが制作した作品など、私が子どもたちを見るポイントはたくさんあります。

中尾 繁樹 教授

これらをトータルに判断して、担任にアドバイスをしています。あちこちの学校から指導に来てほしいと言われるのは、現場としてはこういう人間がいると便利だからでしょうね(笑)。子どもがどんなことに困っているのかは、クラスに40人いれば40人とも違います。教員が困っているだけで、本人は全然困ってないこともあります。対応が必要なのは、大人の視点で見た困った子ではなく、本人が困っている子です。教育現場の深刻な問題のひとつに学級崩壊があげられますが、私にすれば、「あんたの指導力ないからやで」ということ。さまざまな学校を見てきましたが、教員に指導力があれば困ることはありません。 子どもをしっかり見て、子どもに寄り添った指導教育として、広い意味での特別支援教育を実践していけば、いじめも、不登校も、学級崩壊も、未然に防ぐことができます。何か事が起きて、それから手を打っても手遅れです。未然防止の考え方は、すべての段階の教育において大切なことです。万引きをしてからでは遅い、人を殺してからでは遅すぎるんです。未然防止ができなければ、日本はよくなりません。これは声を大にして言いたいことです。  大学で授業をしていても学生の様子を見て好不調がわかりますから、しんどそうな学生を見つけたら、授業が終わった後に「ちょっ と来い」と呼んで話を聞いています。勉強の悩みならいいのですが、彼女にふられたとか、晩飯を食べるお金がないとかいう話ばか り(笑)。でも、そういうことをしているので、学生の方から相談にくることも多い。 大学の授業でも、学級崩壊とまではいかなくても、学生がしっかり耳を傾ける授業と、ざわざわしている授業があります。これもやはり教員の授業力の差ですね。大学の教員は本当に授業力が問われます。


人生の転機になったのは、大学に入る前にヒッチハイクで日本中を旅したこと

私はもともと体育の教員になりたいと思って教育学部に進学したんです。スポーツが好きで、学生時代は剣道やラグビーをしていました。 人生の転機になったのは、特にどこに行く、何をすると決めずに、大学に入る前にヒッチハイクで日本中を旅したことです。いろんな人に出会い、いろんな体験をしました。大勢の路上生活者が集まる大阪の西成区でボランティアをした時期もあります。そんな中で、もともと両親から「人を助ける仕事をしろ」と言われていたこともあり、自分には教育と

中尾 繁樹 教授

いう分野の中でも、困っている子どもたちを支える仕事が似合っているのかなと考えるようになりました。人にできないことをやりたいという気持ちもありましたね。 神戸市立小学校の教員をしていた頃は、重度重複障害の子の教育を専門にしていました。医療的なケアが欠かせない子、ホスピスで過ごす末期がんの子、いろんな子どもたちと接してきました。 教育の現場に立つ一方で、障害のある子に関わる仕事をする者として深く考えさせられる出来事もありました。1995(平成7)年に発生した阪神・淡路大震災では、教え子2人を亡くしました。1997(平成9)年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件では、教育者として「子どもたちの犯罪を未然に防いでいかなければならない」という強い使命感を抱くきっかけになりました。 こうした体験がモチベーションとなって、学校訪問に、現役の教員への指導に、講演活動にと東奔西走する今の私があるように思います。丸一日休める日は来年までない、などと言うと、まわりの人からは「忙しいですね」「大変ですね」と驚かれますが、私自身は「何が大変なのかな」と思っていますし、疲れたとかしんどいというのは全然ないんですよ。


今の30歳以下の人は二本足で立てない人が多い。立てているようで立てていない

 今の子どもたちは姿勢が悪く、からだがシャキッとしない子が多いと言われています。それはからだの軸がぶれているから。だ から授業中ちゃんと座っていられなくなり、ごそごそしてしまうのです。これは子どもたちにかぎらず、30歳以下の人たちの問題で す。今の30歳以下の人は二本足で立てない人が多い。立てているようで立てていない、ふらついていているんです。 ここ数十年の間に、私たちの生活はどんどん便利になりました。人は、便利なものが増えてくると、使わない筋肉が増えていきます。たとえばベビーカーやバギーに、もう歩ける子まで乗っているのをよく見かけますが、あれは姿勢を悪くする最初の要因です。外で遊ぶ機会が減ったことも問題です。紫外線が悪者にされる時代ですが、人間は太陽光を浴びないと、脳の覚醒や心の安定を促すセロトニンというホルモンが分泌されません。部屋の中に閉じこもっていると衝動性やイライラ感が高まり、事故や犯罪に結びつくことになりかねません。 私は最近、こうした子どもたちの傾向を「不器用」という視点で捉え、どう関わっていくかということについて本学の大学院生と一緒に研究しています。 ここからここまでが不器用であるという定義はありません。脳の覚醒レベルが低いことも不器用になりますし、同学年の子と同じことが全くできないのも、自己表現の仕方や他者との交流がぎくしゃくするのも、不器用になります。自分で不器用だと思ったらそうなります。また最近は、しんどいときにどう動けばいいのかわからない、やらなければいけないときにやれない、喋らなければいけないときに喋れないというような不器用さを持つ子が増えています。いろんな意味の不器用がありますから、不器用の背景をしっかりと捉えることが重要です。その上で、感覚運動機能の観点から不器用さを改善するプログラムを提案する実践活動も行っています。


子どもたちへの指導も、トップアスリートへの指導も、 全く同じです

 アスリートに対する指導は、ご縁があって、フィギュアスケートの選手にジャンプの軸のとり方やタイミングについてアドバイス をしたのが最初です。その後、2018年に韓国で開かれる平昌オリンピックのチームアドバイザー(特別講師)として、全候補選手と指導者陣を対象に、本番に強い「こころほぐし」と、けがに強い「からだづくり」をテーマにした講演を行う機会をいただきました。  子どもたちへの指導もスポーツ選手への指導も、全く同じなんです。からだの仕組みは同じで、その使い方に上手、下手があるだけです。そういう意味では、私は0歳児からプロのスポーツ選手まで見ることができます。 アスリートは常に同じからだの使い方をし ていますから、いったん自分の中で悩んでしまうと軌道修正しにくい。世界の頂点で活躍し、世界一上手なからだの使い方をするト ップアスリートでもそうなんです。簡単なことなのですが、そこに外から全く違う視点を入れてあげると、こころとからだの関係に気 づくことができます。 簡単なアドバイスをしているだけですが、教員時代、肢体不自由児の運動・動作を指導していた経験がありますから、どのようにからだを使ったらいいのか、どうしたらからだの一部分を緩めることができるのかという点では、プロのスポーツトレーナー以上に細かい部分をわかっていると自負しています。


心でみる、手でみる、目でみる、

本学の教育福祉学科の特色は、小学校、特別支援学校、幼稚園、保育園などで豊富な実務経験やマネジメント経験を積んだ先生方が多いということです。ですので、実際の教育現場ではこういうことに気をつけて、こんなリスクがあるよと、実践的に指導、アドバイスできるという強みがあります。うちの学生は、1年次から現場を体験させていることもあって、他大学の学生に比べると現場に強い。そして純粋で真面目なところも私は自慢に思っています。 来年度からは特別支援教育に関する科目が必修になります。幼稚園の先生を目指すにしろ、小学校の先生を目指すにしろ、子どもをしっかり見るためには、特別支援教育の視点が欠かせません。しっかり学んで、子どもの立場にたって子どもの実態を把握し、きちっとした授業ができる教育者になることを期待しています。  また私自身は肢体不自由児と向き合う際、「目でみる、手でみる、心でみる」ということを大切にしてきたのですが、学生にもこの3つの力を身につけてほしいと思います。目でみる力は、子どもが何に困っているのかを知る知識の力、手でみる力は、相手のからだをさわってわかる実践的な力、心でみる力は、相手に共感する力です。 学生には、「one for all, all for one」の精神を大切にしろともよく言っています。みんなのために一人でできることは自分が動け、誰か一人が困っていたらみんなで助けろということ。大学時代ラグビーが好きだった私が今もモットーとしているラグビー精神です。


目に見えない 『困り感』 を持っている学生など、従来の対症療法的なアプローチでは手遅れになる

 本学では、障害があってもそれを学びの障壁とせず個性と能力を伸ばし、社会に巣立って活躍している卒業生もたくさんいます。 進行性の視覚障害のために目がほぼ見えない状態で入学してきたある学生は、大手住宅メーカーに就職し活躍しています。彼女が働きやすい設備を整えた上で、障害があるからといって特別な接し方はしない職場の上司の方の対応もすばらしいです。  他にも、耳が全く聞こえない中で4年間しっかり学び、聴覚支援学校の教員になった学生もいますし、車椅子でキャンパスライフを 過ごした後、単身留学し、帰国後は市役所の職員として働いている学生もいます。大学に顔を見せにきてくれる卒業生も少なくありません。彼、彼女らがイキイキと働いているのを見ると、本当に嬉しいですね。 私たち教職員は、障害がある学生に対して学修上の配慮は当然していますし、のびのびと自由に学べる環境を提供する努力はしています。しかし、人と人のつきあいの中では障害の有無は意識していません。障害があるからといって日常生活で必要以上に手を貸すことはありませんし、特別扱いはしてい ないんですよ。 外から見てわかる障害を持つ学生だけでなく、人の話を聞いても聞きとれない、字がうまく書けない、人間関係がうまくいかない、特定の状況や場所への恐怖が病的に高い広場恐怖症、突然理由もなく動悸やめまいなどの発作を起こすパニック障害など、目に見えない「困り感」を持っている学生も学んでいます。学生から申し出があればいくらでも対処できるのですが、本人さえ気づいてないこともあります。授業についていけないから大学をやめる、という学生もいるでしょう。こうした学生に対して大学側は従来、授業が遅れてきたからこうしよう、大学に出て来なくなったからこうしよう、といった対症療法的なアプローチしかしてきませんでした。しかしそれでは手遅れです。ここに特別支援教育の考え方が導入できれば、授業を遅れさせない、学修を途中でやめさせないなどの予防ができるのです。


入学させた学生を卒業させることは、我々の責務です

本学の教育福祉学科では、全教員が、学生一人ひとりが何に困っているのかについて情報共有し、すべての授業で同じ配慮をし ています。特別支援教育をはじめ、学習障害、社会福祉、精神医療、障害児教育など関連する分野の専門家も在籍しているので、困り感を持つ学生に対し、どのように授業を受けたらいいのか、どうやってノートをとったらいいのか、レポートはどうやって書けばいいのかなど、実践的できめ細かなアドバイスをすることが可能です。もちろん、彼らを教える教員に対し、具体的な指導の仕方などの相談に乗ることもできます。大学生は人格や学習能力ができあがっている段階ですが、人と関わることができる学生ならば、教員が精度の高いわかる授業を行うことで伸びていきます。今、関西国際大学のキャンパスで学んでいる学生たちは、私たちが入試を行って、4年間学ぶことができる、大丈夫だと判断して受け入れた学生たちです。入学させた学生を卒業させることは、我々の責務です。障害があろうがなかろうが、一人ひとりに自信を持って卒業してもらうことが大切だと考えています。 本来なら1年次の早い段階で、教員が学生一人ひとりを見て、大学生活に困り感を持つ学生のサインを見つけて援助ができればいいのですが、まだまだ学生を十把一絡げにして「大学生ならできるだろう」と考える風潮が根強いです。もちろんそこには「大学生だからできてほしい」という期待もあるのですが、教員の方々に対しては、学生の実態は一人ひとり異なるということを理解してもらえるよう、働きかけていきたいと思っています。 また、大学全体で学生を支援していくための組織づくりも急務です。全国を見渡せば、たとえば専門の支援室を設置して全学的に発達障害学生支援を行っている大学もありますが、本学はまだ個人ベースの支援にとどまっています。その学生が抱えている困り感やそれに対する対処法について知っている先生は配慮するけれど、知らない先生は何もしないというようなムラをつくらず、大学全体で共通認識が持てる組織づくりが必要です。専門家が多く在籍する本学には、それができる力もチャンスも十分にあります。 関西国際大学は、「国際性」とともに「安全・安心」を全学的なコンセプトとして、これに基づく教育を全学展開しています。学内に特別支援教育を普及・定着させることは、まさしく多様な学生が安心して安全に通える大学であることの証になると思います。

Profile 中尾 繁樹 なかお・しげき

関西国際大学教育学部教育福祉学科教授。専門は特別支援教育。大阪教育大学教育学部を卒業し、神戸市の小学校教員を18年間、同教育委員会の指導主事を9年間務めた後、2008年から現職。発達障害や重度重複障害の子どもたちへの感覚運動遊びや心理臨床的アプローチ、ソフトサイン等の研究、実践活動を行っている。『特別支援教育の理論と実践』『特別ではない特別支援教育』など著書多数。日本LD学会特別支援教育士スーパーバイザーも務める。

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