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    【社会学部】< コラム >「共生」を社会学しよう(2)-多文化な町 神戸で学べること-

     

    【2021年9月13日】

    この記事は『「共生」を社会学しよう(1)-多文化な町、神戸で学べること-』の続きです。


    前回、外国人住民が「神戸らしさの一部」を形作っているということを書きました。今回は少し違った角度から、外国人住民と神戸の関係を考えてみたいと思います。


    1995年1月17日、阪神間を大地震が襲いました。阪神・淡路大震災は町中の建物をなぎ倒し、数多くの命を奪いました。

    阪神・淡路大震災が発生した当時、私は小学生でした。東灘区のマンションから見えた光景は今でも忘れられません。町中から煙が立ち上り、遠目に建物が崩れている様子がみえました。救急車や消防車を求める声が聞こえましたが、町はびっくりするくらい静かなままでした。ネットもなくテレビもなく、なにが起こったのかわからないまま、ラジオから流れるニュースにたじろぐほかありませんでした。


    震災とはその一瞬だけではありません。そこから被災者としての生活がはじまりました。

    電気だけが早期に復旧したものの、ガスや水道は戻らぬまま。毎日30分かけて給水場に赴きました。カセットコンロで沸かした水を使い、体を拭きました。私はただの小学生。学校がいつ再開されるのだろうか。そんなことを心配していました。生活は激変していても、気持ちはどこかうわの空。むしろ日常を取り戻したいという強い気持ちに駆られていたのかもしれません。


    その後、私は中学・高校と神戸で過ごしました。いつしか町並みが元に戻ったようにみえました。点在した空き地だけでなく、幅が広げられた道路や新しい建築物が、震災の被害を物語っていました。そうした町並みも、月日が経つにつれて「ただの日常」となりました。そして、私自身も震災のことを思い起こすことが少なくなっていきました。


    そんな私が震災にあらためて向き合うことになったのは大学生になったころ。大学の授業でのフィールドワークを通じてでした。震災から数年が経過したころ、神戸では「共生」をキーワードに町づくりが行われていました。


    震災によって家屋を失った人々は、学校や公園などで生活をはじめました。ドラム缶で廃材を燃やして暖をとり、集めてきた食料をわけあいました。

    そうした場に、外国人の住民も数多く避難してきました。外国人住民について、今日のように知られていたわけではありません。避難所の日本人住民は、「どうしここに外国人がいるのか」と戸惑ったそうです。多くの外国人は阪神間の工場などで働いていましたが、地域活動に参加していたわけではありません。日常生活を隣り合わせでしていたようで、微妙なすれ違いがあったのです。


    外国人住民と日本住民が、どのように避難所を運営していくのか。日本人住民が目にしたことは、外国人住民の「困り感」でした。


    避難所の情報は日本語ばかりでした。食事や水の配給。生活再建のための行政情報。ありとあらゆる情報が日本語で提供されるものの、外国人には読むことができなかった。そしてそれを「読めないのは外国人の責任」といってしまっていいのか。同じ被災者ではないのか、と。


    こうして外国人住民と日本人住民の避難所での生活は、のちの町づくりや地域活動に繋がっていくことになりました。そこで掲げられた言葉が「多文化共生」です。


    ここで振り返っておきたいことは、前回のコラムで扱ったように、神戸は外国文化が根付く町です。私たちは外国文化を「楽しむ」ことができます。ところが、外国文化を楽しむ一方で、住民としての外国人の生活について関心を寄せてきたわけではありません。阪神・淡路大震災は、そうした日常の中に潜む分断を浮き彫りにすることになったのです。


    私も「多文化共生」という言葉を知り、自分の「日常」がどのようなものであったかを知りました。私が大好きな神戸がどのように成り立っていたのか。震災の影響とはどのようなものだったのか。私が日々食べるお弁当や電化製品を誰が作っているのか。多文化共生については次回のコラムでもう少し掘り下げようと思います。


    話を戻しましょう。このコラムが想定する読者は、高校生のみなさんです。みなさんにとって、阪神・淡路大震災は過去の出来事ですし、ご両親にそうしたことがあった、と教えてもらうような事柄でしょう。現実味が感じられないかもしれません。ですから想像力を働かせていただきたいのです。自分が生活する町が一瞬にして崩れ落ちる姿を。


    そしてこれは他人事ではないのです。近い将来、南海トラフ巨大地震が発生することが確実視されています。そのとき、みなさんは大学生かもしれませんし、社会人かもしれません。

    自分の家族をつくり、生活しているかもしれません。そうしたとき、神戸での学びが必ず役に立つはずです。


    関西国際大学は「防災士」を学生のうちに取得することを推奨しています。それは兵庫県に所在する大学として、阪神・淡路大震災の教訓を活かすためであり、次の震災に備えるためです。防災士は、震災時の救援はもちろん、震災後の復興、そして平時からの防災活動に携わります。


    そして単純に防災士という資格を取得するだけでなく、阪神・淡路大震災の経験を様々な学問を通じて学ぶことで、よりそれが具体的なものとなっていくはずです。私たちの日常がいかなるものなのか。私たちの日常に矛盾はないのか。地域とはなにか。そうした神戸に折り重なった歴史や生活が、みなさんの学びと成長の一助になるはずです。



    社会学部 社会学科 山本 晃輔

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