【学長室】阪神・淡路大震災から20年にあたって
我々にとって忘れがたい大災害である阪神・淡路大震災が兵庫県南部を襲ってから20年の年月が経ちました。
ほとんどの在学生にとっては、出生以前若しくは記憶のない乳幼児期の出来事です。むしろ、学校で学んだ内容として間接的な経験や歴史になりつつあるのかもしれません。
かつて鉄腕アトムの作者手塚治虫は、ロボットと人間の違いを「記憶を忘れることができるのが人間」、「記憶を消去できないのがロボット」ということを述べていました。けれどもこの20年間で地域復興はめざましく進んだとはいえ、この震災で家族や友人を亡くされた皆様、心身に傷を負われた皆様の悲しい記憶は容易に“忘れる”ことができないものであると拝察いたします。
私たちは何を記憶に留め、何を学んでいくことが重要なのでしょうか。
グローバルスタディや昨秋からスタートしたACP(Asian Cooperative Program)で本学と提携する海外の大学関係者と話をすると、阪神・淡路や東日本の大きな災害に直面した際、暴動が起こらず、悲しみの中でも人々が寄り添い、助け合い、思いやりをもって“支え合う”日本人の姿への賞賛と、そこから築き上げてきた“安全・安心”のための備えのシステムづくりへの高い関心を表明されることが多いです。
世界の国々でも、様々な自然災害により、多くの死者が発生しただけでなく、家や職場を失い、医療も十分に受けられずに苦しまれている被災者がまだ多くいらっしゃいます。生命の安全が保証され、安心して生活が送れることの価値は、危機や異変が起きない日常生活では「気づきにくく、忘れられやすい」ものかもしれません。
けれども、私たちは、“当たり前”のことの価値を再認識し、その状態を維持するという責任を果たしていかなければなりません。そのためにも、自分の身のまわりのことから“振り返り”をすることが必要なのではないでしょうか。他人任せではなく、自分が周囲の人々、地域社会の人々のために出来ることは能動的、自発的に実行してほしいと思います。そうしたことが人と人のつながりを確認し、もしもの時に自分は何をしなければならないのかに気づくきっかけを提供してくれるでしょう。
本学の建学の精神である「以愛為園」とは、人に対する思いやりや受け容れる姿勢、言い換えれば、他人の痛みや喜びに対する感性とそれを自ら行動に移すことができる、共同体をつくろうということでもあります。
学生の皆さんが、キャンパス周辺のクリーンアップ活動、ボランティア活動、サービスラーニングなどへ参加されていることは本学の誇りのひとつです。
家族、友人、教職員と言った身近な人々とのやりとりやつながり、学習や経験から自らが発見し身につけてきたこと、名前も知らない社会の人々から気づく親切や優しさ、こうした当たり前に経験していること自体が大きな恵みなのかもしれません。生命の安全や衣食住といった基本的な生活基盤すら保証されずに、安心して生活を送ることができない人々が世界中におられることを、我々はこの国と地域での悲しい経験から想像し、理解することはできないのでしょうか。
本学は、阪神・淡路大震災20年の今年から、“安全・安心”な社会や環境づくりをめざした新しい教育実現に向けた取組を本格化します。
第1に、共通・教養教育に“安全・安心”な社会・環境づくりをコンセプトにした新しい科目の創設
第2に、グローバルスタディに加え、アジアの複数の大学との英語を公用語とする“安心・安全”をテーマにした教室外プログラム(サービスラーニング、インターンシップ、リサーチ)の充実
皆さん自身が、こうした教育プログラムから得る経験とふり返りを通して、大震災で亡くなられた方々、被害に遭われた方々を忘れず、安全・安心なこれからの社会と環境をつくりあげていけるように、自らができることを発見し、実行に移されることを期待しています。
最後に、改めて阪神淡路大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたしますとともに、この震災で家族や友人を亡くされた皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。
2015年1月
学長 濱名 篤
2015-01-14