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学長のつぶやき。

フィリピンの義理姪と会いました

私の海外との交流の始まりは1976年3月に、上智大学の恩師に声をかけられて行ったフィリピン・ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロ市での1ヶ月の生活でした(これについては以前に書きました)。昨冬久々の訪比の際に、当時のホストファミリーの妹の娘が、マニラのアテネオ・デ・マニラ大学を卒業後、横浜で就職していると聞いていました。


 そこで先週、友人と2人で彼女を訪ね、横浜中華街で初めて会食をしました。Marianという25歳の彼女は、日本での生活が3年目ということですが、あまり日本語が堪能ではなく、我々とは英語で話し、素敵な笑顔と明るいキャラクターは母親似でした(父親も友人です)。私にとっては義理の姪のような感じです。


 驚いたのは、彼女が「日本語があまり話すことができなくても日本では生活ができる」と言っていたことです。日本でこのまま生活を続けるかどうかは未定で、仕事の契約期間がまだ1年以上あるので、それまでに決めると話していました。彼女の仕事はフィリピンからのゲストとの対応と、英語圏とのビジネスで、それは英語で行っているそうで、それ以外は、何とかたどたどしい日本語で生活できるというのです。横浜だからかもしれませんが、日本のグローバル化対応も少しは進んで来たということなのでしょうか?オリンピックまでと言わず、外国人にも優しい社会にしたいものです。