教員紹介(国際コミュニケーション学部 観光学科)

教授

宗田 好史 (Muneta Yoshifumi)

所属
国際コミュニケーション学部 観光学科
現代社会学部 観光学科
専門

都市計画

主な担当科目(学部)

共生社会論、異文化理解、国際協力キャリア論、人間学

Q1:現在の研究テーマ(または専門分野)とその専門分野を志した理由・きっかけを教えてください。

父も祖父も建築の仕事をしてので、ちょっと悩みつつも工学部建築学科に進みました。ヨーロッパの建築や都市の歴史が好きになりイタリアの大学で学びました。日本ではその頃、町並み保存が始まり、建築史から都市計画、歴史都市保存の社会的経済的仕組みを研究しました。最初は人口9万人の小さな大学町ピサでのんびりと、その後ローマ大学で慌ただしく、建築保存技術や保存論、観光・商業やファッション、文化芸術政策や交通計画を学びました。5年経った頃、都市保存が東南アジアや中国でも始まり、国際連合地域開発センター職員になり、その後世界遺産に登録されたペナンやマラッカ、ジョグジャカルタの保存計画に携わりました。1992年リオデジャネイロの地球サミットで「Think Globally Act Locally」と言われ、国連じゃなくローカルかと思ったら京都府立大学に誘われました。その後30年、京都で文化遺産・景観・観光、そして環境からまちづくりの仕事を続け、東南アジアやヨーロッパに出かました。今は、神戸山手のキャンパスでローカルな立場でグローバルな仕事を始めています。

Q2:プロフィール

浜松市元城町で生まれ、父の実家三ケ日町で過ごしました。18歳で東京の大学に進み、ピサ、ローマ、名古屋で過ごし、京都に30年、今は下鴨の住民です。大学に務めつつ都市計画のプロとして、京都市や京都府内の市町、滋賀や大阪の都市計画審議会や景観審議会、歴史まちづくり協議会の仕事に当りました。国連職員だったため早くからユネスコ世界文化遺産に関わり、ICOMOS(国際記念物遺産会議)理事を務めました。古都京都の文化財、紀伊山地の霊場と参詣道百舌鳥古市古墳群の登録に関わり、今は彦根城の推薦書づくりをしています。他にイタリアやマレーシア、韓国などで世界遺産登録のお手伝いをしました。

浜松はヤマハ発祥の地、初期のヤマハ音楽教室に通いピアノを習いました。イタリア留学では初見で弾ける技術が役立ち、ピサ大学で400年の歴史を誇る合唱団で歌いました。音楽は世界共通言語だとよく分かりました。

Q3:○○の仕事をしてよかったと思ったことは何ですか?

留学や国連の仕事では、世界中に友達ができたことがよかったと思います。遠くて滅多に会えないけれど、若いころの親友の息子が訪ねてきたりします。教員でよかったことは卒業生の成長を見られることです。都市計画の仕事のよかったことは、十年二十年と経って町が予想した通り、あるいはそれ以上によくなってくることが実感できること、その充実感は何とも言えません。

Q4:○の仕事をして辛かったことは何ですか?

海外勤務では、アルジェリアでデモ隊に囲まれ、脱出しようとたどり着いた空港に数日閉じ込められたこと、イランのクェート侵攻の頃でした。死ぬかと思った。教員で辛かったことは、教え方が悪くて学生さんを苦しめたこと、厳しい言い方で学生さんを傷つけてしまったことです。その思い出がいつまでもチクチクし辛さが消えません。皆さんにそんなことがあったら、ぜひ叱って下さい。

Q5:高校生へメッセージをお願いします。

授業や研究の他、部活とバイト、サービスラーニング、大学ではいろんな体験ができます。コロナ禍で消滅しましたが、お金をためてたっぷりと海外旅行に出るのも大学時代がチャンスです。大学での体験が人生を一変させることもあります。失敗をやり直してリカバリーできます。自分の力でリセットする術を学ぶのが大学生活、受験勉強とはまったく違う新しい発見と学びにあふれています。国際コミュニケーション学科や観光学科では、特に広く世界に眼を向けてもらいます。皆さん自身が輝く場所を見つけてみましょう。

Q6 (Q4):講演・取材など協力可能なテーマ

都市計画、環境政策、世界文化遺産、文化財保護、文化芸術政策、観光政策、観光まちづくり、食文化、環境政策、国際連合、イタリア文化、建築史・都市史、市民参加、住民自治、老いボケ死を身近に考える