人間誰しも自分に不利なことや都合の悪いことは話したくないものです。
100点テストを取れば、真っ先に親に見せその褒美となる報酬をねだりますが、悪い点数であればテストが返還されたこと自体も告げることなく、カバンの下の方にテストを突っ込んだままというのは、当たり前のように語られる風景です。
大人であっても、この精神構造は同じで刑務所行きとなる事柄を進んで供述する者は殆どいません。
しかし、犯した行為をリセットすることは出来ません。
まして被害者がいる行為であれば尚更悔い改め、前に進むしかないのです。
犯罪を犯したことは被疑者が一番知っています。贖罪と更生への決心がついた時自分が犯した罪について話し始めるようになります。
否認を続ける、だんまりを続けるというのも人間にとってはつらい行為です。
良く、悩みを抱えている者が他の者にその悩みを打ち明けることにより、気持ちが楽になると言われます。
犯罪者も同じで、黙っていたこと、否認していたことについて正直に話をした後は、それまでの苦痛やストレスから解放され、前を見ることが出来るようになります。
取調べはカウンセリングに似ていると言われますが、本来真実を明らかにして、少しでも被害者や残された者に希望を与えるためではありますが、被疑者にとっても同じことが言えるのかもしれません。
一口に否認やだんまりと言っても、口を閉ざす被疑者には、それぞれ理由とタイプがあります。
暴力団員による犯罪や会社犯罪の被疑者は、組織・身内を守るため自らが置かれた立場を死守せんがため否認を続ける場合があります。
思想犯は信じる思想が絶対であり、警察や検察、裁判所すら敵と考え完全なる敵対心を表に出し、完全黙秘を貫きます。
常習窃盗犯の様に職業的犯罪者は、自分の罪の重さとそれにより下る罰を計算して、少しでも罰を軽くするため否認を続けます。
私が長らく携わってきた経済犯罪の被疑者は、単独犯より共犯関係者が多く存在し、被疑者にとっては共犯者が家族であったりするため、自分が喋ることにより家族をおとしめるといった間違った家族愛のため、否認を続けるといった者が多くありました。
また被疑者の性格により異なります。外交的な被疑者と内向的な被疑者であれば、雑談も含めてよく喋る者と、そうでない者と分かれます。
内向的で雑談にすら応じず、ほとんど何も話さない被疑者の場合は、突破口を見出すのは大変です。
取調室で終始下を向き、顔を上げるどころか、目線すら合わさない被疑者の口を開くには、様々なアプローチが必要になります。
その切っ掛けは、他愛もない世間話だったり被疑者の趣味の話だったりします。
今時コントに出てくるような「お母さんが悲しんでいるぞ」などと言って黙秘をしている被疑者に語り掛ける取調べはありません。
私が経験した家族ぐるみの脱税事件の被疑者の取調べにおいて、趣味の話が突破口になったケースがありました。
捜索差押により押収してきた被疑者の部屋に保管していた本やメモ、ノート等様々な紙媒体を中心とした証拠品の中に鈴鹿サーキットでF1を観戦した様子の写真がありました。被疑者は車好きでよくレース観戦に行っていたのです。
私は、以前高速道路における交通事故の捜査や取締りをする部署にいた時、鈴鹿サーキットで高速走行に関する訓練を受けたことがあり、コースレイアウトをある程度憶えていました。
また、プライベイトでもF1観戦が趣味で、当時はテレビ放送があり、すべてのレースを見ていました。当然ながら、被疑者が観戦していたレースもテレビ観戦しており、被疑者が好きなドライバーがどのような走り方をするのかよく知っていました。
ある取調べで、被疑者に対してレースの話をした時、それまで取調室で下を向いて、ほとんど何も喋らなかった被疑者がF1の話については普通にしゃべる様になりました。そこで、私は被疑者が好きだったドライバーの走り方の特徴や逆境にさらされた時の粘りの走り、前を走る車をパッシングする時のドライビングテクニックなど、ややマニアックな話と被疑者がコースのどの位置から観戦していたかなど全く事件と無関係な会話を延々続けました。
そうする内に被疑者の表情が若干緩み、レースを好きになった切っ掛けや、今まで見ていたレースについての話を普通に話しだし、写真の観戦は、当時付き合っていたいた女性と共に行き、その後その彼女と別れたことまで話す様になりました。レースの話が突破口となったのです。
それに続く取調べにおいて、被疑者は犯罪行為の一部始終を供述し、取調べを終えた後取調室を出る時には頭を下げて出て行きました。
取調べの補助官はレースには興味のない者で、同じ写真を見ていたものの全く気に留めておらず「係長よくレースの話から被疑者の口割りましたねえ。」と取調べ後言っていました。
この日以降の取調べでは被疑者は吹っ切れた様に明るい表情になり、事件のすべてを話しました。
何が突破口はその事件、その相手(被疑者)によって全く異なります。
すべての取調べにおける特効薬やテクニックはありません。
取調官はその事件ごとに証拠品の分析結果や共犯者を含めた関係者の供述、趣味嗜好も含めて様々な話題の中にヒントを見出すのです。
何事にも興味と好奇心をもって情報通になるのもいい取調官になる一つの方法と言えるでしょう。
今であれば防犯カメラ映像といった決定的な客観的証拠映像もあり、その証拠をどのタイミングで被疑者に突きつけるかなど取調室での駆け引きが行われていることでしょう。