【第6回】教育福祉学科 中西 一彦 教授

【第6回】教育福祉学科 中西 一彦 教授

2022年8月

連載第6回は、教育福祉学科の中西 一彦 教授に語っていただきました。

みなさんも、活字にはまる1冊に出会えていますか?

図書館との出会いで思い深いのは、小学校5年の時のこと。初めての授業内でのクラブ活動、当然大好きな野球(ソフトボール)を選択。ところが、希望者多く抽選の結果、落選。やむを得ず「読書クラブ」へ。読書習慣のない児童は、ただただ時間をやり過ごすのみ。仕方なく借り出した本は、壷井栄『柿の木のある家』。図書館全体の情景は浮かばないものの、その本があった書架の棚だけは、今もくっきりと。

もちろん、中学校でも本は読まず、そのままやんちゃな高校生へ。授業を受ける建物とは離れて、別館として図書館が存在。めったに訪れない生徒が、友人とたまたま館内へ。そこで「購入希望図書用紙」を発見。試しにと数日前に新聞の書評欄で見つけた書名を記入し、提出箱へ。しばらくして確かめに顔を出すと新着本コーナーに、和歌森太郎『日本史の虚像と実像』が背表紙をこちらへ向けていた。

浪人時代に時間を持て余して、足を運んだ駅近くの書店で、源氏鶏太『時計台の文字盤』を手に取り、それをきっかけに活字にはまる。その後は自宅にも、今の研究室にも本が溢れかえるという状況が半世紀近く続いている。

図書館は静かにしなければいけないところというイメージが強く、足踏みする人も。また活字が苦手だと、その空間に活字が跋扈しているような錯覚に陥る人もいるかもしれない。しかしながら、人間の最大の発明は印刷術と言われ、それを具現化しているのが活字である。

文化として残された人類の叡智を活字によって味わえる場が、図書館。しかも今ではそこに映像も含めたメディアの数々が加わり、メディア・ライブラリーとして凄味を増している。

海外だけでなく、国内においても「図書館」は、その建物自体から文化情報発信センターとして人々の未来を担う役割を果たしている。まずは身近な住まい近くの図書館で、そして大学においてはメディア・ライブラリーで、あなたの居場所探しから始めてみませんか。

最後に、教員生活40数年の今も支えとなっている本は、大村はま『教えるということ』であるということだけを記して、拙稿拙文の終わりとしたい。