社会学科ニュース

202105.26
社会学科ニュース

【社会学部】社会学部長 友枝敏雄教授の論文「モダニティと社会学」が 中京大学の入試問題に採用されました

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「モダニティと社会学」 - 高校生調査データを用いた分析 -


社会学という学問を職業とする研究者は、日夜「社会とは何か」という問いや「社会的なるもの」というテーマと格闘しています。学問は、知的格闘技なのです。


「社会とは何か」という問いや「社会的なるもの」というテーマについて考える際に、暗黙の前提にしているのは、社会や社会現象は、「個人を超えたものとして存在している」ということです。


私の論文「モダニティと社会学」(友枝2016)では、「社会的なるもの」を、社会学史を飾る偉大な社会学者がどのように考えてきたのか、について論じています。

取り上げたのは、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの「エートス」、フランスの社会学者デュルケームの「集合意識」、ドイツからアメリカに亡命した社会学者フロムの「社会的性格」です。


ここでは、フロムの「社会的性格」について論じた部分を紹介しておきます。

フロムの 「社会的性格」については、名著『自由からの逃走(Escape from Freedom)』の「付録 性格と社会過程」で詳しい説明がなされています。フロムは社会的性格を、「その集団の大部分の成員の性格構造に共通する面」であるとした上で、つぎのように定義しています。


「社会的性格は、・・・(中略)・・・一つの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団に共同の基本的経験と生活様式の結果、発達したものである。」(Fromm 1941 訳1951:.306)


この定義に明らかなように、社会的性格は個人の心理的性向ではありません。

もちろん社会的性格は個人の意識の集積したものとして成立しますが、個人の意識から切り離された独立のものとして存在し、個人行為者に影響を与えます。

フロムは第一次世界大戦後のドイツ中産階級に浸透していた「権威主義的パーソナリティ」は社会的性格の様相を呈していたとし、この社会的性格がナチズムへの信奉につながっていったとします。


第二次世界大戦中から戦後にかけての社会科学の世界では、第一次世界大戦後、当時としてはもっとも民主主義的な制度を立ち上げたワイマール共和国(第一次世界大戦後のドイツの政治体制)において、なぜナチスが権力を獲得し、ユダヤ人を虐殺し、第二次世界大戦へと突入していったのかという、いわゆる「ナチス問題」が重要な研究テーマとなっていました。

そのような状況のなかで、権威あるものに無自覚に従属するという「権威主義的パーソナリティ」の強い人びとが、ナチスを積極的に支持するようになったということを、フロムは『自由からの逃走』で説得的に論じています。


ユダヤ人だったフロムは、ナチスの脅威から逃れるためにドイツからアメリカに亡命しました。

『自由からの逃走』はアメリカで執筆されました。日本語訳は1951年に刊行され、1952年に新版が刊行されています。こういったジャンルでこれほど売れた書籍はなかなかないでしょう。21世紀に入り20年以上経った現在でも、読者を魅了する著作です。


それでは、このような「社会的なるもの」の一つの形である、「エートス」「集合意識」「社会的性格」を客観的に測定できるのだろうかという問いに答えるために、3時点(2001年調査、2007年調査、2013年調査)にわたる高校生調査の計量データを取り上げました。そして2001年から2013年までの12年間に、高校生の「保守化・右傾化傾向」が顕著であることを明らかにしました。


この高校生調査データを分析した文章が、2021年度中京大学経営学部の入試問題の課題文として採用されました。入試問題では、問一、問二で、漢字の読み書き能力を確認した後、問三では、600字以上800字以下の記述問題が出題されています。


みなさんも記述問題に挑戦してみませんか。


【文献】

Fromm.,E.,1941, Escape from Freedom, Farer &Rinehart.(日高六郎訳,1951『自由からの逃走』東京創元社.)

友枝敏雄,2016 「モダニティと社会学」,遠藤薫・佐藤嘉倫・今田高俊編『社会理論の再興』ミネルヴァ書房.

社会学部 社会学科 教授 友枝 敏雄

⇒ 社会学部ページ

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