看護学科コラム

202108.09
看護学科コラム

【看護学科】『 一人ぼっちのあなたへ 』

今自分が「周りと合わない」とか、「なんか違うよな」と思いながら生きている人はいませんか。私もそんな時期を過ごしました。何をやってもうまくいかない。そして誰も信じられなくなって、自分の存在価値なんてどこにもない、と狭い下宿の部屋の隅で膝を抱えて悶々と過ごした記憶があります。
大人になってからは、これは自分の努力が足らないからに違いないと、信頼されるような人にナリタイと、周りの人に期待される行動をいつも取るようになりました。

そんな中、阪神淡路大震災が起こって、6,000人以上の人が一瞬にして亡くなりました。神戸に住んでいた私は瓦礫となった街を歩きながら、自分が一生懸命追い求めてきたことは何にも役に立たなかったことを思い知らされることになりました。
震災から数年経ち、私は働いて貯めたお金をもとに、仕事を辞めて海外留学をすることに決めました。最初は英語が話せないから、語学学校に行くことにしました。英語ができて最初からすぐに大学に入れる人もたくさんいる中、「やっぱり自分はだめなんだよな」とどこか劣等感を抱えたままの人生のやり直しです。

海外で知り合った人たちは、英語がそんなに上手ではなくても、皆生き生きとしていました。そして、私にはとてつもないように思える夢を追いかけていました。

nurse_benkyou_woman.png

韓国からきた元看護師の20代の女性は、カナダで医師になる夢をもち、医学科への進学を目指していました。でもその授業料が高いから、カナダで看護師として働きお金を貯めるのだと言います。そのためにはまずカナダの看護師のライセンスを取ることが必要です。
なんと時間のかかる話でしょう。そして、看護師から医師を目指すなんて私には無謀な事に思えました。それも誰も知らない異国の地で。

music_piano.jpg

タイからきた20代の女の子は、ピアニストになる夢を追いかけて、有名なグレングールドも卒業した音楽学校で、毎晩ピアノを弾いていました。毎日6時間は練習しないと上達しないからと、防音装置があり練習のできる部屋のグランドピアノを6時間分借りるために、お昼はレストランで給仕として働いていました。
芸術的センスだけを頼りに自国で土地を売って留学資金を調達し、文字通り全人生をかけた夢です。卒業前の発表会で彼女の演奏を聴き、私の目には涙が溢れ出ました。

頑張っている日本人にも会いました。少しばかりの資金を元手に、カナダに住み始めた日本人を支援する事業を起こした20代の青年に会いました。ベンチャー企業などほとんどない時代の日本です。おそらく、青年にとっては海外でなければ達成できない夢だったと思います。
自分で築いた人脈だけを頼りに、それも成功するかどうかわからないし、失敗の連続で、きっと不安でしょうがなかったのでしょう。いつも不機嫌な顔をしていました。

akusyu_hand_suit.png

どの人も、いつ辿り着くかわからないけど、「ナリタイ自分」に向かって、ひたむきに生きている姿がとても印象的でした。
だんだん、日本にいて自分の周りのことしか見えていない自分がとても小さい存在に思えてきました。
日本の社会にいると、目立つのはダメだとか、奥ゆかしい方がいいとか、無意識のうちに周りに合わせて生きています。でも、そうするうちに本当に自分のやりたいことが見えなくなってしまいます。そして、自信がなくなってしまう。でも、世界を見渡すと、そんな小さなこと吹っ飛んでしまいます。

自信がないって言っているよりも、前にでて、動いてみればそこには広がる大地がありました。そこを歩いて行くのに必要なのは、ひたむきな好奇心と、少しだけの勇気だと思います。皆さんと一緒に勉強ができる日、そして夢を叶えることができる日を楽しみにしています。

この記事をシェアする

  • Facebook
  • LINE
  • Twitter