グローバルコミュニケーション学科コラム

202110.06
グローバルコミュニケーション学科コラム

【Gコミ学科】植民地ボストン市民の誇り:アメリカの絵画(2)『ポール・リビア』(1763)

Paul_Revere.jpg
『ポール・リビア』(ボストン美術館所蔵)
ジョン・シングルトン・コプリー - http://www.mfa.org/collections/object/paul-revere-32401,
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=175520による

ポール・リビアの名を知らないアメリカ人はいません。1775年4月19日、ボストン郊外におけるレキシントン・コンコードの戦いで合衆国独立戦争の幕が切って落とされました。その戦いの前夜、英国軍の襲来を周辺の友軍に早馬で知らせた植民地の英雄がポール・リビアだったのです。とくにコンコードには植民地軍の武器庫があり、そこを守る友軍に英軍の来襲を告げることは大きな意味を持ちました。


18世紀合衆国で最も著名な肖像画家であった、ジョン・シングルトン・コプリーがこの画を描きました。18世紀のボストンで父の代から続く銀細工の仕事を引き継いだリビアは、街の有力者とし活躍する凄腕の職人でした。画面は、精巧な銀食器を左手に持ち、上等なシャツに身を包んだリビアの半身を捉えています。その面持ちには、職人としての自信とボストン市民としての誇りがにじみます。政治意識の高かった彼は、1760年代から植民地と英国との政治紛争に注意を払い、「自由の息子たち」という組織に加わって、英国軍のボストン周辺での動きに目を光らせていました。英国軍の不穏な動きがその目にとまったため、友軍へと夜分、早馬を走らせたのです。
 
しかし、この物語には事実に反する部分があります。4月18日の夜、ボストン郊外にあるレキシントン、コンコードへリビアが馬を走らせたのは事実です。けれども、コンコードの手前にあるレキシントンで彼は英国軍の兵士に呼び止められ、馬から下ろされていました。英国軍の来襲をコンコードまで伝えたのは、結局、リビアと一緒にボストンを発った別の男だったのです。この男は英国軍の呼び止めを何とか振り切り、見事に任務を果たしました。それにもかかわらず、1861年、19世紀アメリカの国民詩人の一人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが「リビアの騎行」という詩を読み、彼を讃えたため、リビアの名が不朽のものとなったのです。


歴史は事実をありのままに伝えるとは限りません。史実のねつ造や単純な思い違いもそこには含まれます。けれども、肖像画に描かれたリビアの自信に溢れた顔を見つめていると、そのような事実の不確かさは、いつの間にか見る者の意識の後景に退いてしまいます。コンコードまでたどり着けなかったにもかかわらず、なぜ、リビアの物語が合衆国国民の心を今もとらえて離さないのでしょうか。その謎を解くのも、アメリカ地域研究の楽しみの一つです。

国際コミュニケーション学部 英語コミュニケーション学科 教授 遠藤 泰生

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