心理学科コラム

202304.25
心理学科コラム

【心理学部】容疑者に殺意はあったのか -岸田総理に爆発物が投げられた事件の犯行動機-

2023年4月23日、岸田総理が統一地方選挙の応援演説のために訪れた和歌山市の雑賀崎漁港でパイプ状の爆発物が投げこまれた。破片の一部は40m離れた倉庫の壁を損傷させたものの、軽傷者が2名出ただけで大事には至らなかった。現場では24歳の容疑者が威力業務妨害の疑いで現行犯逮捕されたが、取調べに対して「すべて弁護士が来てから話します」と黙秘しているようである。容疑者が何も語らないのでこの事件の動機や背景はわからないが、前後の状況から、現時点で推測できることを述べておこう。

― まず、現場で地面に押さえつけられた容疑者が首を上げて周りを見回すような様子が何度もテレビ画面で流された。検察官送致の際も顔を隠すことなく、まっすぐ前を向いて毅然としていた。その容疑者について、無表情あるいは落ち着いていたとの指摘もある。それが何を意味しているのか?

今回の件では、結果的に爆発物によって大きな人的被害は出なかった。もし、殺意をもって狙っていたにしても、警察官の素早い対応で総理は身の危険を回避したのだから、彼の行為は事実上の「失敗」である。となると、取り押さえられる前に容疑者は思いをとげようとして懸命にもがいたり、抵抗したりしてもよいはずであるが、悔しそうな表情すら浮かべていなかった。あのように落ち着き払った顔色を見せたということは、今回の結果は予め読み込み済みではなかったか。少なくとも「計画が失敗した」という後悔の念は彼の表情から読み取れない。

― であれば、岸田総理に対する殺意は最初からなかったのか?

殺意があるなら、殺傷能力を上げるため、筒の中に大量のパチンコ玉や釘などを入れたであろうし、爆発までに50秒以上もかかる、導火線に火をつける方式にはしなかったはずである。本当に殺したいなら、自爆テロのように爆発物を抱えたまま、総理に向かって突進してもよかったのではないか。そこで、彼の犯行スクリプト(台本)に総理を殺害することまでは、最初から入っていなかったと思う。

― では、犯行動機は何か?

犯行から数日経過した後に、容疑者は国に対し、損害賠償訴訟を起こしていたことが判明した。被選挙権の年齢や供託金について不満を持っていたことからすると、政治に関心があったことが十分に伺われる。国会議員という名誉と、それに見合う報酬が欲しかったのかも知れない。それは、後述するように容疑者が持つ承認欲求とも関連するのではないだろうか。弁護士を介さない本人訴訟で専門的な書類を仕上げていることからしても、容疑者には一定の能力があったと思われるし、民事裁判で自分のことをアピールしたかったのであろうと考えられる。

ただ、訴訟の内容は合理的とは思えないし、当然のことながら、昨年11月には棄却されている。それが今回の事件のトリガーになり、爆発物の製造を始めたのかも知れない。しかしながら、仮に損害賠償が認められたとしても、被選挙権の年齢の引き下げには結びつかないであろう。さらに、例え年齢が引き下げられたところで、彼には参院選に立候補して当選するだけの社会的な実績もない。「絵にかいた餅」のような話ばかりで、結果の見通しが甘く、目的に沿った行動がとれていない。その点で彼は十分な社会的成熟に達していないと思う。しかし、そうした自分の未熟さを認識できていないにも関わらず、一方的に社会への不満を募らせたとすれば、一連の行動は何らかの障害に起因するものではないだろうか。

即ち、今回の事件を起こした原因として、自己愛性パーソナリティ障害から来る承認欲求と、反社会性パーソナリティ障害からくる破壊行為が推定される。自分に対して過度の自信を持ち、妄想に近いほど自己評価が高い人間は、自分を認めてくれない社会に強い不満を持つ。彼らは、自分の失敗や挫折すら、他人のせいにして責任転嫁する他責的傾向が強い。そういった不満が積もり積もって自暴自棄になり、周囲からも孤立して、最後に無差別大量殺人のような事件を起こすことがある。その場合、直接の恨みを抱いている相手を犯行の標的に選ぶのではなく、甚大な被害を起こすことを目的として、無防備な人が多く集まる場所を最優先して犯行計画を立てる。池田小学校事件・秋葉原事件・京アニ事件・大阪駅前クリニックの放火事件などがそれに相当し、その背景には強い承認欲求がある。今回の事件は大量殺人にはならなかったが、それらの事件の一種の派生形ではないか。現職の首相に向けて爆発物を投げ込んだだけでも、連日の報道につながったわけだから、自分に注目を集めたいという動機は十分に満たされたと推測される。それが、あの取り押さえられた時に周囲を見回した際の表情に出ており、達成感を感じとることができる。

さて、昨年、奈良で発生した安倍元総理殺害事件と比較すると、自家製の凶器を準備している点が類似している。また、選挙運動期間であれば、大物政治家に容易に近づき、凶悪な事件を起こすことが可能であることを山上被告から学習したのではないであろうか。安倍元総理の事件の際には、容疑者は社会的に注目され、一部の市民からは英雄視されたこともあって、それが自己顕示欲の強い今回の容疑者の犯行を誘発したのかも知れない。

【教授 中山 誠】

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