社会学科コラム

202106.08
社会学科コラム

【社会学部】キャラは個性ではなく役割である⁉

みなさんは学校で「何キャラ」ですか?

まじめキャラ、天然キャラ、やんちゃキャラ、しっかり者キャラなど、いろんなキャラがあるかと思います。みなさんの中には、これらのキャラは一人一人の性格や個性と同じものだと思っている人も多いでしょう。しかし、本当にそうなのでしょうか?


このコラムでは、キャラは一人一人の「個性」というより、むしろ学級委員や掃除当番のような「役割」に近いものである、という考えを紹介したいと思います。

キャラは周囲との関係で決まる

この主張に、驚いた人もいるかもしれません。「本人がまじめな性格でなければ、まじめキャラになんてならないよ」という反論だってあるでしょう。たしかに、本人の性格からまったくかけ離れたキャラになることは、あまりなさそうに思えます。


しかし、どんなに本人がまじめであったとしても、周囲の人がもっとまじめであれば、まじめキャラと呼ばれることはありませんよね。それに対して、本人がそこまでまじめではなくても、周囲がもっとだらしない人ばかりであれば、「まじめだね」と言われることはあるでしょう。ですから、本人がまじめでなくとも、だらしない人たちばかりの集団の中では「まじめキャラ」になることはありえるといわなければいけません。


このことを踏まえると、キャラはその人の性格よりも、周囲の人との関係で決まるものだと考えたほうがよさそうです。少なくとも、その人の性格のみによって決まるとは到底いえないことはたしかでしょう。このように、役割と同じで、キャラは集団のなかで割り当てられたものなのです。

 
キャラは私たちを縛る

そして、一度キャラが確定してしまうと、私たちはそのキャラに合った行動をするように促されます。


たとえば、前日の部活の練習がハードだったり、夜更かしをしたりしたために、授業中に眠くなってしまった場面を想像してください。おそらく、この場面では多くの人が睡魔に負けて居眠りしてしまうと思います。


ところが、みなさんがもしまじめキャラだったとしたら、どうでしょう。後で友達から「ノートを見せて」と言われるかもしれないなと思って、まじめキャラでない場合よりも、頑張って起き続けようとするのではないでしょうか(もちろん、結局は睡魔に負けてしまうこともあるでしょうが)。

同様に、何か悲しいことがあった時でも、元気キャラの人だったら、落ち込んでいる様子を見せないように明るく振る舞うことだってあるはずです。


こうした場面で、もし、キャラとは違った行動をすれば、友達から「なんだか意外」と冷たく接されるかもしれません。このような友達の反応がありうることで、私たちはキャラから外れた行動をしにくくなっているのです。これはなんだか、掃除当番をサボると怒られてしまうことと似ていますよね。 

 
身近な「社会」について考える

以上のように、キャラをめぐる日常の場面を見ていくと、「個性」というより「役割」に近いものだということがよくわかります。


このコラムを読んでいる人の中には、「学校でのキャラと家や塾でのキャラが違う」ことに違和感を覚えている人もいるかもしれません。しかし、「キャラは役割である」と考えるなら、こうしたことはある意味当然のことなんだ、と納得できるはずです。


社会学は「社会」についての学問です。「社会」と聞くと地域や国のような大きくて抽象的なものを想像しがちですが、身近な人間関係のように小さくて具体的なものもれっきとした「社会」にほかなりません。

世界のことから家族や友達のような人間関係まで、社会学では身の回りの幅広い物事について学ぶことができるのです。

 

(社会学部 社会学科 真鍋 公希)

この記事をシェアする

  • Facebook
  • LINE
  • Twitter