社会学科コラム

202107.02
社会学科コラム

【社会学部】大学で社会学を学ぼうと思った理由

私の中学校・高校時代をふり返りながら、大学で社会学を学ぶことになった理由を書いてみましょう。


小学校時代から、読書は好きでした。一番好きだったのは、歴史の本でした。

当時偕成社から出ていた『世界れきしの光』『日本れきしの光』(一年生用、二年生用と学年ごとに刊行されていた記憶があります)は愛読書でした。ノアの箱舟やバベルの塔の話、日本では大国主命(おおくにぬしのみこと)、聖徳太子、織田信長、豊臣秀吉と歴史上の人物がつぎつぎと出てきます。ただ物語も読んだはずですが、あまり記憶に残っていません。

高校の古典の時間には、定番の『源氏物語』を習いましたが、どこが面白いのか私にはわからないままでした。そのかわりというと変かもしれませんが、吉田兼好の『徒然草』はなるほどなるほどと思って読んでいました。

こういう私ですから、中学校時代に夏休みの宿題だった読書感想文は、課題図書に小説や物語が多かったためか、うまく書けなかった思い出があります。


高校一年生のときに、和辻哲郎の『風土』(岩波書店)を読んでとても感動しました。この書籍の内容はつぎのようなものです。

大正時代に日本からヨーロッパに留学した哲学者・倫理学者の和辻哲郎(京都帝国大学教授・東京帝国大学教授)はインド洋を経由して、船でヨーロッパに向かいます。ヨーロッパでの経験をふまえて、気候(風土)【注釈:和辻の言葉で言えば、モンスーン型、砂漠型、牧場型】がそこに住む人びとにどのような影響を与えるかを論じたものです。

難しい内容でしたが、論理的な文章の素晴らしさに感動して、将来こんな文章が書けたらいいなと素直に思いました。十五歳の少年ですから、大胆にこんなことを考えることができたのでしょう。


高校二年生のときの担任が世界史の先生でした。この先生は広島大学の大学院に進学したのち、研究者の道をあきらめて高校の世界史の教員になった方でした。この先生の授業はとても面白い上に、朝のホームルームで時事的な話をしてくれました。今でもおぼえているのは、当時日本全国で学生運動が起こり、大学紛争が激化していることや、ソビエト軍がチェコに侵攻して、チェコの民主化の流れを鎮圧したことなどです。


この先生の影響もあり、歴史学を学ぼうと思い、大学は文学部に進学したのですが、大学一年生のときに、友人たちとドイツの社会学者マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)を読みました。この著作は、西ヨーロッパでの資本主義の誕生にプロテスタンティズム(とりわけカルヴァン派)が大きな影響を与えた、つまり一見無関係に見える宗教が、資本主義という新しい経済システムの誕生に有効に作用したということを、さまざまな史料を駆使して、論証したものでした。


当時私は歴史学の講義を聴きながら、色々な史料を通して新しい史実を知るのはそれなりに面白いけれど、「なぜそういうことが起こるのか」という理論がほしいなと思っておりました。社会学の言葉で言うならば、歴史のダイナミズムもしくは社会変動のメカニズムを知りたいなということになります。そういうときに出会ったのが、マックス・ウェーバーの著作であり、深い思索の機会を与えてくれました。


社会学科に進学した友人の多くは、マスコミ(テレビ局、新聞社)、広告代理店や一般企業に就職していきました。

私も大学院に進学する決断がつかず、就職のことも考えましたが、結局、自分のやりたいことに挑戦しようと思って大学院に進学し、研究者の道をめざすことにしました。


私が学部生時代に社会学を専攻した理由には、偶然的な要因もあります。高校時代に和辻哲郎の『風土』に出会ったのも、大学一年生のときにウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に出会ったのも、偶然的な要因があります。しかしそこで出会った書籍によって、私の人生は方向づけられてきました。

偶然の糸を必然の糸へと織り上げていくことが人生なのでしょう。


読書には、人を方向づけていく力があります。


社会学部 社会学科 教授 友枝 敏雄

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